ウサギ狩りレポート

今日は”屠殺ワークショップ”なるものをやっている知り合いの女の子の、ウサギ狩りレポートというイベントに参加してきました。

生きる(食べる)ということを、暮らしの循環の中でどのように考えるのか?密接な距離間で命と向き合った時、自分の暮らしの在り方が見える気がします。

新潟県中越地震震源地となった山深い集落再生支援モデル地区「荒谷」にて、
代々守り継がれてきた「うさぎ狩り」を体験してきた彼女。

見せてもらった映像では、真っ白一面の雪山で数人の狩人が袋状にウサギを追い詰め、散弾銃で撃っていました。シンとした幻想的な雪山に響き渡る猟師さんの掛け声。
真っ白の世界を駆け抜ける真っ白のうさぎがとても美しくて、撃たれたときとてもショックを受けました。まだ死にきれないうさぎを猟師さんがひきずってきて、人懐っこく甘えるように人間の脚元でふらふらしているうさぎに、とどめに銃で殴りつけ気絶させました。久しぶりに衝撃を受けました。そして、肛門からナイフを入れお腹を開いて行きます。この時点でも、うさぎはまだ死んでなく、バタバタと動いていました。真っ白の雪に真っ赤な血。
私の冬の帽子に手袋にマフラー。毎日身につけているそれらには全部うさぎの毛皮がついています。それがとても暖かくていつも毛に踞って幸せを感じていたけれど、とても複雑な気分になりました。自分で穫って肉を食べた訳でもないのに、毛皮だけを利用する為にお金を払って買ったもの。
今回のが猪じゃなくて良かった。猪だったらもっと普通に見て通過していたかもしれません。

この集落では、今でも自然に沿った暮らしが行われているそうです。
穫った獲物は食べ、皮は鞣し、余す事無く使われていました。
レポートしてくれた子はこんなふうに話していました。
「屠殺するときには、食べて自分の身体の一部になって、毛皮も鞣し、身に纏い、これから宜しくねという気持ちです。」
命を頂くという事は遥かな旅ですね。